ミュージカルだよ!Bonnie and Clyde(怒

ある人(名前は伏せる。気の毒だから)に誘われて、ミュージカル「Bonnie&and Clyde」を観てきた。

覚悟していたのでまあなんとか耐え切れたが、

でもほんと酷過ぎた。

ひとりだったら絶対に幕間で帰ったと思う。

Bonnieなんてまるでパー^^子。パー子ね、林家パー子

演出はウェストサイドのパクリかよ、のオンパレードだし(おかしいでしょ、このふたつの作品がダブるのって)

アンサンブルは発表会レベルだし、

唯一救いだったつのだひろさんも、最初は良かったんだけど、周期的に登場して、それがまた唐突なもんだから、

「すいませんねぇ、さ、さ、ひろさんお見せしますんでひとつご不満は納めてくださいよぉ」みたいに感じてだんだんうんざりしてくる。

これが宝塚だったら許すんだけどね。(わたしはヅカファンよ)

私を連れ出した”ある人”は、幕間も終演後もしきりに謝っていた。まあチケット代出してもらったので貴重な機会と捕らえますが。

キャストには罪はない。企画、演出、作詞作曲...

まあまともな人間はあれをミュージカルにしようなんて思いませんよ、まして90分の映画を2時間半を超える大作にしようなどとは。

このミュージカルをきっかけに、映画を観たことがなかった人が観てくれるかも知れないと思うことだけが心の支えだ。

(私はミュージカルファンよ、念のため)

価値観が合う、とは要するに何を指しているのか

色々なこと
-自分が”結婚”てものに感じる違和感ってなんだろう、とか
 
そういうことを考えるともなく考えているうちに、
 
 
ふたりで、家で一緒にできることって結構限られていて、
それらに対する姿勢、価値観ってのが重要なんだろうなってことに思い至った。
 
 
「今更!?」って言われそうだけど、
 
 
食事
つくるとき 一緒に作りたいor関心なし
食べるとき 会話をしたいorテレビを見たい
お酒    飲むの好きor飲まない
 
テレビ テレビ見ないorテレビっ子
 
 
こういった部分が合わないと、一緒にいる意味がほんと見いだせなくなる。
そばにいるのに、共同できるはず(と本人は思っている)ことすらそれぞれ別々に行う状態。
これだとほんと、寮となにが違うんだろ、みたいなことになる。
(意識して選択するほどでもない次元の「日常の何気ないこと」なだけに、意外と簡単には譲り続けられない部分でもある)
 
 
「価値観が合う、合わない」って、きっとこのあたりのことを言うんだろうな~
 
もっと早く気づければありがたかったんだけど、まあいまさらでもわかってよかった

不覚にも

車窓から見たぐるなびのコピーで泣いてしまった

「僕らにはお祭りが必要だ」ってやつね。

(山手線の車内で泣いたんである...またしても。

私が頭痛持ちなのは、”泣くのを我慢する”ことが多いせいではないか、と最近本気で思っている)

 

今年はほんとにいろいろありすぎた。

年忘れ、と言って集まったら、それこそ泣かずにいられる自信がないけど、

何度でも何度でもあの人を偲んで涙できるのは、もう幸せ以外のなにものでもない気がする

本当に本当に多分今人生の中ですごい特別な時間を過ごしてるのだろうと思う